The Day.

2018年10月31日

秋の雑感2018

久しぶりの。

秋が深まりつつあるこの時期、人間界では「食欲の秋」「芸術の秋」など何かしら理由付けて活動が盛んになる。

週末のニュースでも、渋谷でハロウィンパーティと称し「パリピ」とか「リア充」とかが街を占拠し迷惑をかけている。
ここ10年くらいで仮装パーティとして一気に恒例行事化したからか、世代的に僕にはあまり馴染みがない。

だからか、この「パリピ」や「リア充」がウェーイってなる映像を見ても、どっかの成人式と同じで、どこか遠いところで若者がワイワイしているなって感覚だ。
ただ迷惑をかけてまで目立とうとする人は、はっきりいって不愉快。

しかも露出の激しいコスプレしたギャルが、「こんなに堂々と痴漢されるなんて思わなかった~」とか言ってたけど
こんなん、出川哲郎に言わせりゃいつもより強めに「お・ま・え・は・馬・鹿・かー」なんて言われて当然なんだろうな。
多分、出川さんも無駄に言わせんなよって呆れてるよ。



サッカーの代表戦の後も渋谷は同じような状況になるけど、状況把握や危機感が欠けてるのかもねー。
それを抑えてでも街でワイワイしたいなら、ある程度の自己責任で行くべきだと思うし。(ただし痴漢は犯罪)



まあ、そんな事は別に僕の中で何にも残らないのでどうでもいいんだけど、
個人的に、いつも秋が深まると、蜂と熊に対する警戒心が高ぶってくる事が多い。
なんだいきなりってなるかと思うけど、昔から蜂と熊に対しては異常な恐怖心と好奇心があるんすよ。

春から初夏にかけて、毛虫が多いと秋口は蜂が多い。とか、ドングリが不作だと熊が人里におりてくる。

よくこんな事いわれますね。
秋といえば動物や昆虫にとって冬眠前の最後の活動期な訳で、出来るだけ体力を蓄えるためにより凶暴になるのは当然で
今年も僕の住む兵庫県では熊の目撃件数が増えている。

暇あれば自然に身を置きたいタイプの自分としては、全然他人事ではなくて
この時期は冬眠前でもあるけど、こっちとしてはベストなキャンプシーズンな訳で
特によくキャンプへ向かう地域などでも目撃されているし、子連れのファミキャンだとやっぱり怖い。

そりゃ山に餌が無かったら、生きるために人里に降りてくるでしょうよ。
人間も必要だから山に入り、開拓していったんだし。

でもね。
先日とある記事でみたんだけど、野生動物が街に降りてくることに関して
人が山を開拓した事って実は大したことないんだって話があった。

確かに開拓し、森が小さくなり動物達の活動範囲が狭められている事は当然影響しているのだけど実はそれよりも、人の排泄物が地面に残らない事が大いに関係しているそうだ。

僕らの生きる社会では、人間の排泄物は下水から処理施設へ流れ浄化され、海へ流れていく。
山で狩った動物、植物、果実などのミネラルは、排泄物として山へ還らず海へ流れていく。
当然、山のミネラルは年々減っていき、農作物の栄養価にも影響が出てくる。
その記事では、「このままでは確実に文明が滅びる」とまで言い切っていた。



じゃあ昔は??
木こりや狩人だって山で排泄するし、それが微生物によって分解され栄養素となり植物の繁栄を支える。
また、人間の排泄物の臭いがあることによって、それが結界となり動物も避けた事だろう。

その昔だって山の餌が不足する事はあるだろうし、人里に訪れる事もあったと思うし、
今が特別じゃないのかもしれない。
その観点から考えると、排泄物の処理方法が原因というのも理解出来る。

普段、コンクリートジャングルに住んでいる「ヒト」は、文明の発達と共に犠牲にしてきたものも多く、その失ったものが今の時代、自分たちの首を絞めている事は忘れてはいけない。

地球温暖化もそうだよね。
CO2排出量を減らしましょう、京都議定書にサインしないアメリカはなんだ!
こんな時だけ発展途上国ヅラする中国はなんだ!って思うけど、
実際のCO2量って実は恐竜の生きていた時代よりもかなり少なくて、排出量を減らそうってのも0.00%代の話だそう。
限りなく小さい世界の話ってこと。

メディアを100%で信じたりする事はないし、踊らされる事もあんまりない僕だけどちょっとこれにはダンシングしてしまいそうです。

文明の発達に伴い、何かを失い何かが反発して返って来るけど出来る範囲で各々の生活スタイルが、本来あるべきスタイルに近づけばいいなと思う。

2018年1月5日

LAST DAY.

次の日のこと。
昨夜のライブを終え、一眠り。
起きたらオイルハウスに知らない大きな男がいた。
話によると、ラッパーだそうで今日はオイルハウスでRECの為にやったきたらしい。

朝の挨拶して、その彼を紹介してもらった。
彼の名はBIG FACE。名前を聞いてもあんまりピンと来なかったけどレコーディングに立ち会い、フローを聴いた瞬間に納得した。
そう、彼はFREEZ氏と一緒にRAMB CAMPのメンバーで、ギラついた声をもつもう一方の弾丸だったのだ。
その姿、フローはODBが乗り移っていた。完全に。笑

よく僕のヘッドホンを通して声を聴いていたのは、彼だったんだなと何か変な感触だった。



一通り作業が終わり、あーだこーだ話してるうちに盛り上がってきて
「オチバ、一曲かくわ。お前も書け」って事になって即興でリリックを書いた事があった。
僕自身、他のラッパーと曲を書いたのは昔のユニット振りだ。
(その前に一度、不思議なユニットで曲を披露した事があるけど、それは番外編としてブログの一番下に書きます)

2018年になった今。
かれこれ10年以上前の話だから、具体的に何について書いたか覚えてない。
つまり出来上がった音源すら持ってないんだけど、個人的には凄く苦労した記憶がある。

僕はリリックを書くのにホントに時間がかかったタイプ。
言いたい事は沢山あるけど、その根底には「怒り」があって、ただ闇雲に怒ってても何も伝わらない。
それは表現とは違うと思っていて、
その怒りを、僕のフィルターを通すとどう表現させれるのかが自分の挑戦でもあった。
出来上がった詞を全て捨てる事も多かった。
(そこにもまた怒りが発生するんだけど。笑)

そんなタイプが故、真剣に取り組み始めてからは、ラッパーと共同で曲を書くのが本当に苦手だったのだ。
音楽をやっていると、よく曲一緒にやろうぜって話になることがある。
事実何回も曲を作ろうと誘ってもらった事もあるし、ノリで曲書こうぜって話になる事はあったんだけど、自分は一歩踏み出す事はなかった。

逆によくフューチャリングで見かけた人たちは、ホントに凄いと思った。
そういったスタイルなんだろうけど、ちょっとパーティチューン感が強い事が多くて、自分には真似をする事が無かった。
むしろ出来なかった。
こいつカメレオンか?とすら感じていた。

音を楽しむ。
でもそれはリスナーとしては簡単だけど、表現する側では、もちろん楽しいのは大前提ではあるけど
楽しいよりも産みの苦しみが大いにあったなと感じる。

そんな背景もあり、BIG FACE氏との競作には苦労したし、数時間で作っちゃったので達成感もあんまりなかったんだけど
(たぶん、彼も覚えてないだろうけど)
自分自身の経験、苦手なものへのチャレンジという面では、役に立ったと思う。
一番覚えているのは彼の声量だ。あれはホントに凄かった。ODB。


その後、制作モードに入った僕はオリーブさんにトラックを作ってもらう事になった。
音の一つ一つを話しあい、教えてもらい、1つのトラックが完成した。
(これはその後のライブでよく使わせてもらったが、最終的にはあえてボツにしたトラックだ。)

どうしても、福岡で感じた今の温度をパッキングして置きたかったのだ。

それには訳があって、僕の福岡を旅立つリミットが近づいていた。
僕は次の地、徳島へ向かうことになっていた。
徳島でのライブが控えていたので、このトラックを初披露したかったんだ。
徳島にいる大先輩のリリパでどうしても披露したかったんだ。

その先輩、AKT THE JNの話などをオリーブさんとしながら、駅まで送ってもらう。
ほんと福岡の人はみんなあたたかく、みんな駅まで見送りに来てくれて、再会を約束し僕は福岡を後にした。

次はEL NINOのツアーで会おう、と。


こうして僕の福岡への4泊の旅は終わった。
1通のメールから、こんなに濃い体験をしたのは今まででこれくらいかもしれない。
もう、クラブBASEは無い。
もういない人もいる。
それでも、10年近く経っても、久々に一緒に酒を飲む席で、こんな体験を思い出させてくれたOlive Oil氏には感謝しかない。


---番外編---
神戸のラッパー達とユニットを組んだ事がある。
その名は「HELTAH SKELTAH」、ではなく「HELTAH SK8TAH」
DockDownのへルタースケルターではなく、神戸のへルタースケイターである。

神戸で同じ価値観を持った仲間(Nava Rasa/The Blank/MURAQMO/Ochiba)で構成されていて、
たぶん8MCとか、そんな大所帯だった。笑
2,3回ライブしたっけなあ。

どんな曲だったかな。
たぶんHOOKが「回転する歯車、ヘルタスケイター」って感じなのは覚えているけど、
正直この曲もあんまり覚えていない。笑




2017年12月25日

親不孝ナイトPart 2

ひとつエピソード。

クラブ帰り、腹減ったねって事で皆で牛丼屋へ向かった。
朝食をとりながら、今日の反省点とか意見とか皆で話しあってたとき。
何かひとつの言葉がキッカケで、Oil BROSが取っ組み合いの喧嘩を始めた。
「てめえ、表でろ。ぶん殴ってやる!」

改めて活字にしたら、洋楽パンクロックアーティストの和訳みたいだけど、
いや、でもその時の僕は超焦ってて、必死で止めてたと思う。
音の抜き差しや、映像のタイミングなど細かいディテールがかみ合ってなかったようで
バトルが始まったようだ。

酒の勢いもあったかもしれない。
でも兄弟で、ここまで本気で向き合って取り組んでいる。
かたや瞼が腫れるほどの殴り合いが出来る。

ある程度バトルが終わったら、また普通に次のライブなどの話に戻る。何事もなかったかのように。
これがOilWorksの根っこの強い部分なんだと、認識出来たエピソードだ。


そんなこんなで、次の日も続々色んなアーティストがオイルハウスへやってくる環境の中、オリーブさんが
「今日は、BASEってクラブでパーティがあるんだ。オチバもライブしなよ」
と誘ってくれた。
「やるね?よし、決まり。今から街に行こう」
と、色んな事がトントン拍子で事が進み、皆で天神WALKER。
色んな店に行って、色んな人に紹介してくれて。ほんとびっくりするぐらいに皆があたたかい。
天神での数ある逸話の中でも、
たったいま目の前にあるラジオ局を、福岡の某グループが襲撃した話とか凄かった。

時間も良い感じになってきたので、晩飯食いに行くか!となり、飲み屋に行くと。。

そこには既にRAMB CAMPのラッパーで、オリーブさんとのUNIT、EL NINOのFREEZさんが待っていた。
「おーオチバ、オリーブから聞いてるぜ。今日は金はいらん。何でも飲んで好きなもん食ってくれ」
他所から来た人間を客人として、しかもめちゃくちゃ手厚いおもてなし。
しかも飲む量が凄い。。
ここでも地方の話、ツアーの話。凄いいろいろなインプットがあり、酒もハイペースで、正直ぐったり気味になってたけど
ライブの話になったら超真剣で、神戸の事や音楽事情をかなり詳しく聞いてきたりと非常に熱心な人だ。
「そういや、ちょっと前に神戸から来たドレッドヘアでアイリーなやつとであったぜ。しってるか?」
「たぶん、わかるっす。神戸のシーンの先輩っすよ。軽自動車でツアーしたり」
「そうそう、そいつだよ。あいつ滅茶苦茶だったけど、良いやつだった。よろしく伝えてくれよ」
そう、I.M.Fこの猪瀬くんが先に街に来ていたようだった。
福岡でも神戸のライオンは轟かせていたのは嬉しい話だ。

そして一行と共にBASEへ。
FREEZさんが、
「ここは俺達のクラブだ。さっきも言ったが金はいらん。好きなもんを飲め」といって
芋焼酎のロックを出してくれた。(もうロックはキツカッタ。。)
ほんとこの人の兄貴肌には感銘を受けた。
たぶん福岡に来た客人は、皆おなじ印象だろう。

早い時間から客もパンパンになり、
出演者の朋晃(ツキツキニッコウと呼ぶ)とか超キャラの濃いアーティストがフロアをあげていく。
そして僕の出番。
オリーブさんがライブDJを勤めてくれて、即興でポピーさんがVJをしてくれる。
サンプリングしたBjorkのイントロが今までに無いイメージでスピーカーから飛び出していった。

あんまり喉の調子が良くなかったようで、自分としては満足出来ないライブだった。
が、色んな人から声をかけてもらって、神戸にも興味を持ってもらえたみたいで、その点においては良かった。
バーカンでFREEZさんにライブの感想を聞いていると、横にいた男性が「あんたのライブ、面白いね」って声をかけてきた。
「でも全然まだまだ。もっと努力しなよ。もっと良くなると思う。まだ音に喰われてる」って。

この男性と意見交換をしていて気付いた。
この人、MIC JACK PRODUCTIONの名曲「SEVEN SEAS VOYAGE」に参加している、YURAさんだった。
この曲は個人的に好きな曲で、よく聞いていた。顔も知らないがYURAというラッパーについてはとても興味を持った。
YURAさんは酒の勢いもあってか、色々とキツーく指摘してくれた。
でも、経験からの言葉で、芯が通っていて、ある意味痛快な言葉使いだった。

また素晴らしい出会い、素晴らしい経験をする事が出来た、充実の親不孝ナイトPart2だった。

2017年12月20日

親不孝ナイト


指定された薬院の川沿いで待ち合わせ、初めて邂逅した。

僕は顔をしってたけど、オリーブさんは僕を知らない。
でも待ち合わせ場所についた途端、道路の反対側から、
「おーい、オチバ!ういーす」って声を掛けて貰った。

なんでわかったのか訳を聞いてみたんだけど、はぶらかされた。
待ち合わせ場所に自分一人がいた訳じゃなくて、色々な人が行き来する場所。
今でも何故分かったのかわからない。笑

軽く挨拶を交わし、足早にオリーブさんの自宅へ向かうと、そこにはポピーさんやゾルジさんなど既に様々なアーティストが集っていた。
オリーブさんが皆に、「神戸のラッパーで、超いいよ~」なんて紹介してくれて、皆で昼間っから飲んだ。
街の事、ルーツの事、音楽の事。特に好きなバンドについてはかなり熱を持って話した。

特に印象的だった話が2つあって、
ひとつは、僕の母方のルーツである徳之島って島が鹿児島県にあるんだけど、Oilworksの2人は徳之島出身だった。
これは凄いねってかなり盛り上がった話だ。
同じルーツを持つ年齢も、住んでる街も違う人たちが、今この場で同じ音楽をシェアしながら、情報交換をしている。
とても不思議なご縁ってもんだ。

そして何より、2つめの印象的な話は、
北海道のMJPのボス・B.I.G JOEはまだオーストラリアに収監されている時期だったんだけど、あと2年で出てくる。
その時にTBHのBOSSと一緒に曲やる事になったんだよって話をしてくれた。
すごい興奮したよ、これには。

その日、皆といろんな情報を交換し、インプットも完了したところで、
「オチバ、今日DJするんだけど遊びにいこーぜ」って事で、確かStussyの周年パーティだったと思う。
一路、親不孝へ。

夜の親不孝は昼間とは全然違う顔で、人々は超ハッピーな顔をした人ばかり。
しかも良い人が多くて、一晩で永住したくなるような気にさせてくれた。

パーティも早い時間からパンパンで、熱気が凄く、野郎たちのカロリーがハンパない。
しかも女は皆綺麗で、しかもフレンドリー。
オリーブさんが色んな関係者に紹介してくれたので、ペーペーの僕に対して皆は凄い低姿勢で、デモCDなんてかなりもらった。
あたかも自分が有名なアーティストのような気分だったけど、それだけ福岡でのOliveOilっていう影響力は凄いんだなと改めて感じさせられたもんだ。

バーカンで酒を飲んでると、
「自分まだまだなんすけど、本気でラップやってます。いつか神戸でも活動したいですっ」なんて言ってくれた若いMCがいた。
若いって言っても、僕自身は当時24くらいだったので3つ4つくらい年下の子だったと思う。
WU-TシャツにStussyのバケットハットが印象的な彼は、たしかMC BOOKという名前だった。

「この後ライブするので絶対見ててください」

こんな僕に、こんなにもアピールしてくれる。しっかりと見させてもらった。
グループだったのかな?ステージに何人か立ってラップしてたのは覚えているんだけど、
今となっては細かなディテールは、あまり覚えていない。
ただ凄く素直に音楽好きな人だったような事は、しっかりと覚えている。
※余談:BOOKは何年か前に、この世を去ったって聞いた。真偽は分からない。
    あくまで噂なのかも知れない。でも本当だったら、こんなに悲しい事は無い。

メインゲストのオリーブさんのプレイは、地元だけあってかなり盛り上がった。
当時オシャレDJ達はこぞってHIDEOUT系の音源をプレイしていたけど、黒い黒人音楽であるJAZZをプレイに絡めるのはあまり見た事が無かった。
ただJAZZをMIXする人は沢山いたけど、自分の音源+その流れでブレイクビーツに繋いでいき、フロアはカオス状態だった。
そして何より黒かった。

酒の出る量も凄い。
神戸では、僕ら若かったてのもあるけどテキーラショットで乾杯するのがスタイルだった。
これは客人を招いた時も、いつもこのスタイルだったけど
福岡ではテキーラなんかよりも芋焼酎の消費量がホントびっくりする位。
クラブにいる野郎は皆のんでいたんじゃないかってくらい。

良い感じに遊んで、その日は帰ろうかって話になり皆でオリーブさん宅へ戻った。
とっても刺激的な夜だった。

2017年11月24日

GO WEST.

その後も僕は自分なりのペースは崩さず精力的に活動をした。
それでも自分たちのパーティには人が余り集まらなくて、次第に開催の間隔もあき
僕は自分の活動にプライオリティの重きを置いていった。

その時期は、プロモーション用に作っていたデモ音源を色々なパーティでばら撒いていた。
神戸・大阪・京都。

普段パーティには先輩たちと足を運び朝までワイワイするのが日常的だったけど、
自分が好きな音を流すパーティには一人で足を運び、オーガナイザーやDJに配りまくった。
自分のプロモーションは、みんながワイワイしている間に、ひっそりと周りには内密に行うのがやり方だったし
次にそのパーティに遊びに行った時、自分の曲がプレイされてたらホントうれしかったもんだ。

良いコメントも悪いコメントも沢山届いて自分自身反響に驚いたんだけど、
ある日、ネットに上がっているDJの音源を聴いている時に、
PCに一通のメールが届いた。

「送信元:OILWORKS」
そう、福岡のオイルワークスのボス OliveOilさん(以下、オリーブさん)からのメールだった。



あれはいつだったか、あるパーティに遊びに行った時の事。
クレジットにOilworksが記載されていた。
名前は印象的だったので前から知っていたが、実際どんな音を出す人なのか良く知らなくて、僕の目当ては別のDJだった。

その日のオリーブさんのプレイが始まってから、音圧でまずぶっ飛ばされた。
この人の出す音、すげーな。
トラックのセオリーとか細かい仕様とかは全然わからないけど
弦楽器のチョイスや旋律、ループの部分とか、凄く印象的でカッコいいトラックを作ってる人だと思った。
しかもVJ、弟のPopyOilさんとの融合が凄くて、ちょっと衝撃を受けた。
この時はオリーブさん達と話すきっかけもなかったんだけど、ほんと痺れた夜だった。

ある日の夜、それを思い出してOilworksのWEBへアクセスした。
サイトにアップされている音源、ビジュアルデザイン共々やっぱこの人たちカッコいいわと確信し、恐る恐るサイト内にある
「CONTACT US」ボタンをクリックした。

どうしても僕の音源を聴いて欲しかったのだ。
僕の音源に対して、意見が欲しかったのだ。

そしてそれから何日か何ヶ月か忘れたけど、少し経ってから先のメールが届いた訳である。
オリーブさんから貰ったメールは
「ここ数ヶ月で聴いた音源で一番よかったよ、いつか福岡で遊ぼうな」
という内容だった。

福岡という街の音楽シーンは、正直よく知らなかった。
Natural Nine NationRAMB CAMPっていうグループしか知らなかったと思う。
ただRAMB CAMPの音源は誰かに焼いてもらった事があって、
ちょっと神戸では見ない、地域の色を出したオリジナルなラップをしてるという事は知っていた。

先のメールから何度かやりとりをし、音源を送ったりしている内に、どんどん福岡に興味が沸いてきた僕はすぐに福岡行きのチケットを確保し福岡の街を知るため、単身親不孝へ向かった。

たぶんメールのレスを貰ってから2ヶ月くらい経っていた。


福岡の街の第一印象は、ただただデカイ。
大阪とも神戸とも違う、オリジナル。
ストリートには人が沢山で、神戸とは比べ物にならない位の規模だった。
観光ってわけではないけど、昼間の街を見たくて天神を歩いた。

神戸も含めどの街もそうだと思うけど、昼と夜の顔は全然違う。
歩いてる人も何もかも。

そんな時、一人の男が声を掛けてきた。


「すいません、ちょっといいですか」

建物や街を見回してた僕は、スっとその人の顔を見た。


…全然知らない男だった。

「私、福岡でモデル事務所のスカウトをやっている○○と申します」
「福岡で○○っていうTVがあるじゃないですか、そこに出てもらえませんか?それから雑誌とかのモデルに展開していきたいんですけど、芸能に興味ないっすか?」
「すいません、僕神戸から来てて、そのTV知らないんすけど」
「そうねんですね!是非今から事務所でお話出来ればと思うんですが~」
「僕、既にホ○プロに在籍してるけど、大丈夫ですか~」
「…わかりました、それはマズいっすね」

ただのスカウトマンだった。笑
なんでホリ○ロ在籍って言ったんだろう。。笑

その後、デモ音源をばら撒きに何店舗かのレコ屋を回ったのだが
どの店でも、オイルワークス関連は大きな扱いで 街を代表するアーティストなんだなと
再確認出来た。
神戸のレコ屋では、ここまでプッシュするのを余り見た事がない。
神戸って街は、正直あまり地元を盛り上げようって意識が見えない街で
シーンとレコ屋、ストリートとの密接関係はちょっと薄い。
それ故、福岡のストリートのシーンとの関係性は少し羨ましかった。



そして僕はオリーブさんに電話をしたのだった。

2017年11月16日

THA MASTA BLUSTA


そのイベントで好評だったのか、数日たってからオーガナイザーの方から連絡をもらった。
「次の11月にBigパーティを企画してるんやけど、出る?」って感じだったと思う。

正直、こないだのイベントで言いたい事いっちゃったし、相変わらずノルマあるし、、。
しかもBigパーティはチケット価格も超高くて、ノルマきついなあ、、、と思ってた。
その前にライブの印象とか教えて欲しかったし、良かったのか悪かったのか、反応はどうだったのか、そもそも見てないのか。
これって若手、同じアーティストをどういう風に見てるかよく分かった行動だった。
人間的な面かな、やっぱリスペクト出来ないなと思って断ろうと思ってた。

その時、「出てもらうゲストはM.O.S.A.Dなんだよね」 
僕は直感で「宜しくお願いします」って言ってた。
いや、だってTOKONA-X! トコナが出る!
しかもその他にDJ KENSAWも!西の証言!

ゲストはRYUZOANARCHYなどビッグな面子が揃っている。

僕はいつだったか日本語ラップをよくディグってる時期、さんぴんCAMPのビデオを擦り切れるまでみてた。
証言もそうだし、ギドラもブッダも超格好よかった。雷、KEMURIプロダクション。
色んなものを吸収してた。
でもオープニングかな?会場へ向かうヘッズ達の様子などを流しているシーンで掛かってた、DJ HAZUのトラックに興味津々だった。
そこからDJ HAZU関連の事をディグりはじめたけど、
あんまりインターネットも普及してないし、ライナーノーツのSpecialThanksから広げたりしてた。
そういう時期に知った、ILLMARIACHIだ。
どこかのレコ屋で買ったアナログが最初の出会いだ。
なんだ、このフロー。超オリジナル。唯一無二という言葉がピッタリだった。
さんぴんCAMPで映像にはなかったけど、トコナ18歳でさんぴんCAMPに出てたって知って、そこからトコナの虜だった。
その後のトコナの活躍はよくご存知だと思うので割愛するけど、何せ そのトコナと同じパーティである。

この時期の僕の好きな音楽とトコナ関連の音楽は全然融合出来なくて、
そのパーティでも浮いてしまうのは確実だった。

そして。



パーティの少し前、トコナはこの世を去った。
(来週22日はトコナの命日。もう13年経つ)

僕は何の面識もないし、何のつながりもない。ただ、このパーティだけは本当に楽しみだった。
オーガナイザーはパーティを開催するべきか悩んだと思う。でも開催する英断を下した。
それには当然ゲストもトコナ抜きで出演するって事を決断したからだ。
リハの段階で今まで感じた事の無い空気、誰も笑わないしかなり重たい。
いざイベントがスタートしても、客もどうやって楽しんだらいいのかわからない、
すごいカオスな状態だった。
楽しいのか悲しいのかよくわかんない空気だ。

僕も勝手ながら、心の中で追悼の意をもってライブに挑んだのを覚えてる。
正直、自分の言いたい事とかスタンスとか二の次で、ホントただの虚無感しかなかったし、自分が憧れたアーティストへの気持ちを言葉にしたただけの、一地方の一若手のフロントアクトライブ。

ライブ後、一人のラッパーが声をかけてくれた。
姫路の超怖そうなグループのLOWBLOWのフロントマンのMAX3さんだ。
見た目からしてM.O.S.A.Dのようなイカつさ。
「自分のライブ、めっちゃよかったわ。ちょっとシビれた」ってな事を言ってもらった。
普段、自分とは世界観の違うアーティストから、そんな事行ってもらってホントに嬉しかった。
それだけで出てよかったと思っている。


MOSADのライブもグッと来たな。
トコナはいないけど、そんな空気のパーティは中々経験できないし、あんな心境のアーティストに会う事も中々できない。
僕はいい経験が出来たと思っている。

でも、、ノルマは痛かった!
その日からオカズのない、白米だけの毎日が続いたよ。

2017年10月20日

その衝動が風となり落ち葉を舞い上がらせた

 
フロントアクトでの出演交渉の結果、当然若手なのでノルマ設定が科される。

当時の若手アーティストの苦悩の1つであるノルマについて、後輩のラッパー・神門がノルマ地獄という曲を作ってたが、ホントに苦しい。
1枚2000円のチケットを20枚とか30枚とかをノルマとし、客を呼び込む。
今の年齢で冷静に考えれば、客を持っていない、客を呼べるわけではない若手に時間を売っているのは当然だと思う。実績ないし。
けど、これはホントに深く当時の僕を悩ませたとこである。

ライブの持ち時間は10分。仮に1MC+1DJで20枚ノルマだと40000円でこの時間を買うのだ。
当時のイベントはだいたい22pm~5amが一般的で、リハなどを含めて約8時間。分にして480分。
神戸の箱はどんなに高くても一晩20万円以内だった。 
10分に換算するとだいたい4500円いかないくらいか。

まあイベントってのは、ゲストのギャラからドリンク保証、フライヤー印刷など様々な経費がかかるのだが、
少なく見積もっても10分で40000円は本当に若手には苦しい金額だ。
必ず、どこかで潤う人がいる事もわかっている。
それでも僕はまずは出る事に意味を見出していたので、フライヤーの片隅に小さく,ホント小さく記載された、
【FRONT ACT LIVE】という凄い疎外感のある括りでのライブに挑んだ。

フロントアクトは僕を含め3組くらい出てたと思う。
出番は3番目、この中では一番いい位置で出させていただいた。
オーガナイザーは僕の名前や、活動をしている事は知っているが、実際にライブは見た事がないそうで、
ただの未経験者って訳ではないので、この位置でと配慮してくれたらしい。

少しでも人が増えている時間が希望だけど、まぁ、何番目でもいい。

フロントアクト1組、そして2組が終わった。
正直、僕には何の印象にも残らなかった。
だって、イベントオーガナイザーやその取り巻きに影響を受けて、虎視眈々と出演を狙ってた若手一派だ。
当然、メインアクトと同じ雰囲気のライブをやるんだから、インパクトは何もなかった。

自分たちは、このイベントとは毛色が異なる事、もっとhiphopって色々なスタイルがあるんだよってこと。
これさえ表現出来ればいい。それだけで今日の意味があると思っていた。
そして、出番がきた。

ライブが始まるとき。
だいたいは、前のライブDJが繋ぎ用の曲をかけ、次のアクトがライブ準備を行い、整えば1曲目のトラックが流れライブが始まる。

でも、僕はいきなりMICを握る事はしなかった。
前のライブの雰囲気やライブDJの残していったトラックから、自分たちの曲に繋ぐのは正直気持ち悪い。
音楽的な流れもクソもない、単純な流れ作業とすら思えた。

そこで僕らは、神戸の尊敬するスケーターでありトラックメイカーのJNY THE WEEL(スケーターならFESN 43-26関連て言えばわかるはず)の12インチA面2曲目に収録されている、
PURPLE ALARMというインストを1曲丸々掛けた。時間にして4,5分位か。


先述したが、僕はここのオーディエンスは日本語ラップや、そのイベントのアクトやゲストこそがhiphopで、
それ以外には基本的に興味がないのか知らないのかは知らないが、話題になる事はなく音楽的視野は本当に狭いと感じていた。

この曲が神戸から出ている正真正銘、hiphopである事を、僕から提案した形だ。

当然客はザワつきはじめ状況を理解出来ずにいたと思う。そりゃライブがすぐに始まると思ってるのに、今までのアクトと少し雰囲気の違うラッパーがステージ袖に待機しているのに、
全然ライブが始まらない。このイベントじゃ、インスト4分って時間、超長い。
JNYくんのヴァイオリンがフロアで響き、かなりの異空間と、オーディエンスがステージを懐疑的な目で見る状況が整ったのを見計らい、僕は一気に1バース目を始めた。

僕は3曲キックした。
僕の曲は、プジョヘンザー、セイホーみたいなコール&レスポンスはないし、パーティSHITもない。
基本的に、怒りから出来上がった曲が多い。

1曲、2曲と勢いでこなし、最後の3曲目。
僕の相方DJ takeには、このインストをかけてって事だけ伝えてた。
実は3曲目は、ライムもフローも無い、ただビートにのせてオーディエンスへ問いかけた語りに近い即興の提言だった。
フリースタイルラップでもない、ただただ僕の感情を言葉にしただけ。

オーディエンスにしたら、なんだコイツは?って思うひと多かったと思う。
今でもしっかり覚えているけど、
僕はフロアに向けて、ちゃんと自分の目で、耳で音楽を聴けよ、パーティのノリだけで音楽語んなよ。
可能性は無限大だよ、くだらない損得勘定や先輩後輩の上下関係とかぶっ壊せ、って。

僕らは基本的にここにはいない、クラブはここだけじゃない、いい音楽は自分で探せって。

僕のライブは10分の予定だったけど、押してしまい20分近くやっちゃったと思う。
オーガナイザーさんには申し訳ない。
ライブ中、フロアから黄色い声も、掛け合いも無かったけど、ライブが終わったら、大きな歓声と拍手をもらった。
よくわかんないけど、僕の言いたい事や熱意だけは伝わったんだと。こんなhiphopもあるんだと。

「落葉って、ちょっとヤバイね」って。


2017年10月12日

Seen It.


先輩とのイベント共催となり、これまでの取り組み方やライブなどを思い返し、少しでも自分の存在やスタイルを表現しアピールしたいと思うようになり、
今までは内輪でワイワイしていただけのイベントだったが、フライヤーの作り方からストリートでのプロモーション、そして自分自身のトラック選びからと意識はかなり変わっていった。

十数名いたクルー全員が出演出来る訳でもないし、自分が拾ってきた共催イベントという事も踏まえ、これからを見据えてがんばろうとしている奴を僕らのイベント代表としてクレジットに加えた。
全員出れると思ってた人、何で俺らのイベント色を他のイベントに合わせないといけないのかと思う人、
当然、様々な意見が噴出したが、自分自身の思うよう貫き、結果それでよかったと思っている。
(最終的にはクルーは分解してしまったが。)


先輩と行動を共にし、少しづつだがストリートとの繋がりが増えいく。
そして、自分でフライヤーを蒔きに行く。
少し顔を覚えてもらったら、ショップやクラブで会うたびに
「あ!こないだの。あん時はどーも」 
これだけで楽しかった。

そしてイベントを迎え、当日はとことん打ちのめされた思い出が一番強い。
リハから音の1つ1つへのこだわり、DJのかける音圧の違い、照明との連動、客へのおもてなし。
全てにおいて完敗だったのは間違いない。
でも自分のライブは幾分好評で、先輩や先人、オーディエンスから沢山声をかけてもらった。
たくさん知らない人がテキーラを飲ませてくれた。
会場だったクラブPi:Zのボス、1102さんからも直接褒めてもらい、次のイベントへブッキングもしてくれた。
しかも会場にいた、関西アンダーグラウンドの雄、土俵オリジンのDJ WESSUNや、
ストリートでの存在感の凄かった、THE CROWNなど様々な友人やアーティストと出会っていき、
どんどんと活動範囲も広がっていく。

色々なパーティで共演し、色々な友人が出来ていく。これが繰り返された。



そんな時の神戸のhiphopシーンは、
OLDNEW CAFEやBeberのある象ビルで開催されるメインストリーム勢と
Pi:z,OTO-YAで開催されるアンダーグラウンド勢といった構図であった。
象ビルでは、バスケのユニを来て水泳キャップのようなドゥーラグを被り、アメ車で50cent/In Da Clubが掛かってた。
当然、客のギャルは可愛い娘も多く、華やかなイメージだ。

かたやPi:zなどで流れる音楽は90s hiphopを中心に、ミドルスクールやアブストラクトなど多彩で、魅力的だった。
チャラい感じとは正反対の、ストイックさ。そしてジャンル問わず音楽が好きって人が多かった。
TBHのBOSSのリリックで「好きな曲を教えてください、その曲の意味を教えてください」とあったが、凄い共感してたなー。
絶対、メインストリーム勢にはわからないだろう、ノリだけで楽しんでるんだろうと思ってた。
(これは当時の勝手な妄想です。てか音楽聴かない人も同じような格好してたし)



そんな時、知り合ったDJたち。
次第に同い年の面子が集まり、結束し、方向性が同じ同志と次のステップへ向かうため、
新たなクルーが出来た。【誠】である。
誠はとても変則的であった。ラッパーは自分だけ。あとはDJの集団(スタート時は1MC+5DJ)。
僕の中で誠は、ラップグループではなく、音楽集団という意識が強かったので、
フロントマンは自分ではないと思ってたけど、
DJ陣は自分のスタンスで取り組んで欲しいし、DJの、特に選曲はセンスだと思ってたので
可能な限りスポットを浴びせたくて、自分がフロントマン的役割を担っていた。
大阪・鶴の間・SoundChannnel・NOON,FLATt、京都WHOOPEEZとか純粋に音楽が好きな人たちが集まるクラブを見つけては
通い、踊り、次第に僕らはそういった人たちへ届けたい、躍らせたいと思っていた。
ジャンルじゃない、思想や姿勢、生き方の部分へのアプローチだった。

僕らの好きな音楽を流すイベントに共感してもらう方法。
一番手っ取り早い方法、僕がヤバイライブをして誠の名前を売っていくことだ。
そこで知り合う関係者やオーディエンスを自分たちのパーティへ取り込んでいく、
そして魅力を感じてもらう。 これが一番だ。

チャラ箱代表だった象ビルのBEBERで行われているイベントがある。
そのイベントは若手への影響力が割と合って、出演者は日本語ラップを主に聴いている人が多く、
オーディエンスは音楽を知らない人、音楽を一方向からしか見ずに知った顔をする人などが多かった印象だ。決して悪口ではないが。

そのイベントが国内ゲストを招き、そういった人たちへ知見を深めてもらう意味合いがあったのだろう。
そこへ、僕はアプローチを掛けた。
「フロントアクトでいいので出してくれ」と。

もう、待ったなしだ。僕はその場へ乗り込んでいった。

2017年9月21日

What's up old self.













高校も卒業し、より自由を得た専門学生時代。
中・高・専門と、この期間に得たカルチャーや衝撃は一生モノだなぁと今になって思うけど
当時は音楽にかなり貪欲で、
色々なパーティに顔を出し、カッコいい音楽を吸収し、その情報をもとにレコ屋へ。
人生で一番音楽にお金をつぎ込んだ。

その頃、高校時代のReggaeを一緒にやったダブリの先輩とリリックを書いてはインストに乗せ、
気晴らしにスケボーをする事が日課みたいなもんだった。
自然とダブリの先輩とユニットを組み、2MC1DJという構成になった。

そんな時、初めてのステージに立つ機会が与えられた。
ダブリの先輩が仲良しだった、当時バリバリ活動をしていた先輩がオーガナイズするパーティに出してくれるって話だった。
その先輩はすでに3MC1DJのユニットを組み、ライブの演出でVJを導入したりと、当時の僕には初めてのことを経験させてくれた、
いわば一番身近で学ぶことが多かったアーティストである。

で、話を戻すと初めてのライブが決まり、ダブリ先輩とのクオリティも上がっていき
高校時代の陽気なReggaeという音楽性が、よりスピリチュアルに、よりシンプルで、より深い黒い音楽へどんどんのめり込みユニットの色が固まっていった。
初めてのライブの事は正直あまり覚えていない。特に手ごたえがあった訳でもない。
でもとても楽しかったのはよく覚えている。

それからというものの、より活動的になるものだと思っていたけど、
自身の学業やバイト、ダブリ先輩の仕事の都合などもあり少しづつ疎遠になっていく。
でも僕は僕で、クラブには頻繁に通ってたし、ダブリ先輩に繋いでもらった人間関係がより深くなっていき
自分でパーティを開きたいと思うようになっていった。

ちょうどそんな時、学生時代の友人や、その繋がりから僕の周りには音楽をやりたいって志す人が多く
すぐに仲間内を集めてパーティを企画した。
いわばクルーみたいなもんで、10人近くが集まってた。

友人同士でラップユニットを組んでたり、DJチームを組んでたりと、
しょっちゅうDJの家でダベりながら、リリックを載せたり、スクラッチをしたり、夜は皆でイベントへ行く。
朝起きたら学校へ。より活発に動くようになった。
そこでの出会いは若さやフレッシュさで、今思うとすごいTHE 青春!みたいな空気だったと思う。

友人の繋がりから、既に活動していたBlank To Rhythmoという名のグループにも参加してもらい
初めてのパーティを開催した。
夜遊びデビューの大学生や、ずっと一緒に動いてた友人達も集まり、かなり盛況なパーティになった。
その後も2回ほど開いたが、ここでも少しづつ違和感が生まれていく。

当然10数人もいれば、取り組み方や音楽性、責任感などにズレが生じていく。
パーティの出演者も多種多様で、はっきり言ってイベントの色が無い、大学生の身内イベント感が丸出しだったのだ。

そんな時、初めて自分をステージにあげてくれた先輩が何年もオーガナイズするイベントと、共催しないか?と話をもちかけてきた。
先輩のやっているイベントは抜けがなく、音楽性も統一された、音好きの集まるすごく出来上がってたイベントだ。
イベントのクオリティには雲泥の差がある。
でも僕はクルーとの違和感はあるけど、みんなでチャンスをゲットしたい。僕らも少なからずレベルアップしたかったんだ。
恥を覚悟で受ける事を決めた。


つづく

2017年9月19日

Hello,old self











HIPHOPとの出会いは中学生の頃。
(厳密に言えばスチャの今夜はブギーバックやEASTEND×YURIだけど)
サッカー部の先輩から借りたCOOLIOのGangsta's Paradiceを聴かせて貰ったのが記憶の中で一番古い。
その後、洋楽オムニバスのMAXシリーズでFUGEESにハマッて以来、かなり意識しだしたと思う。













その後、高校生になり地元の駅前はスケートスポットとなっていて、
夜になるとBMXやダンス、スケーターなど若者カルチャーが集合し、色々な出会いがあった。
そこでスケボーを介して街のお兄さん達と知り合い、HIPHOPとの距離がぐっと近くなっていき、
初めてHIPHOPを【体感】したのは、ポートアイランドにあった、クラブJUNKだった。
ExpressionのVHSでみてたWORDSWINGAZ、神戸からは水面鏡とか、ラッパ我リヤとか雑誌でみてたアーティストが
一同に介したパーティ。衝撃だった。

それ以降、自分も活動したいといった思いが強くなっていき、
当時、HIPHOPと同じくらいReggaeも聞いていて、よくHighest MountainとかDancehall Rockとかにも遊びに行っていた。
その流れか、高校の同級生からReggaeのステージを文化祭でやろう!と声をかけてもらい、それがステージに立つ最初のきっかけだった。

僕の高校時代、それまでに他校の文化祭には結構遊びに行ったけど、基本的にはバンド及びダンスがメイン。
ターンテーブルを用い、ラップやDJをする文化は、この辺りではなかった。
校内に自作のフライヤーを貼りまくっては先生に叱られ、放課後はターンテーブルを持っている友人の家に入り浸り
リリックを書く事が日課になっていった。
初めてのステージは生徒のみならず先生にも好評で、卒業した翌年に文化祭のゲストで呼ばれた事もあった。笑

その経験を機に、音楽のステージを街に移していった。

つづく

2017年8月4日

ジャージスタイル以降、まだまだ続くカルチャー

小学校高学年になると子供カルチャーから大人のカルチャーに興味を持ち出す人が多い。

それまではイケてる男子小学生のユニフォームと言えば、
エッジの効いたお洒落なジャージで それこそ足の速い男子が女の子にモテるって所と密接にリンクしていた。
ただジャージとして、イケてるブランド・ダサいブランドっていう格付けはあった。
これだけは曲げたくない意見だが、SUPERSTARのジャージはイケてなかった事は確かだと思う。



(画像左:当時だとイケてる評価を得れそうなジャージ)
  (画像右:教職員の御用達SUPERSTAR)

その小学校生活前期から中期後半あたりまでは幅を効かせていたジャージスタイルからの脱却、
次のチョイスで以降の各々の立ち居地が決まったと個人的には思う。
その話はまた今度。

音楽への興味だって、はやけりゃ小学校中期。
子供っぽいものを部屋から排除しはじめ、CDコンポを設置したり、ウォークマンを持ったりしだす人もいる。
そして聴いてる音楽のだいたいは当時のヒットチャートソングだ。
(まれに親の影響で洋楽などを聴いてる超絶マイナーキャラもいたりするけど。)
ここで音楽の波に乗り遅れたら、以降高校生あたりまでイケてる音楽へ1テンポ乗り遅れ、各々の立ち居地が決まると個人的には思う。

そうやって準備を整え迎えたネクストステージ(中学生活)、当時の僕はアコースティックギターとベースに夢中だった。
それまで聴いていたヒットチャートポップスから、ROCKとPUNKに目覚める。
それまで乗っていた24段変速マウンテンバイクから、スケボーの板へ変わる。
それまで着ていたジャージから、古着のTシャツ・ヴィンテージジーンズなどへの興味が移った。

これらカルチャー情報をキャッチ出来るのは、高校生・大学生あたりの兄がいる友人が最先端だったと思う。
何せ10代~20代前半に流行っている、生の世間のカルチャー情報を先行して入手できるのだ。
これはチートみたいなもんで、いくらアンテナを張ってもPCすら各家庭になかった時代、当時の少年には限界がある。
そんな境遇の人が友人にいたお陰で、当時の自分はアンテナの張れた、時代の旬な情報をキャッチできる、割とイケてたタイプだったのではと思う。(自負だ)

中学生の頃、世間のヒットチャートはglobeや安室ちゃんなどのTKサウンドや、
GLAYやL'Arc~en~cielなどのV系サウンドが全盛期で
中には綺麗な化粧をし一見女性のようで、でも背がバカデカイ喧嘩の強そうなIZAMなんていう人もいた。
今となってはただのオッサンの女装だけど、当時は美人に見えた人も多かっただろう、そんな時代。



僕らは自称イケてるタイプだったので早々とヒットチャートを抜け出して、
今のアラフォーたちが全盛期だったHi-STANDARDに虜だった。
でもGLAYなどは良く聴いてたし、当時のJPOPのクオリティは素晴らしいかった。




僕は英語の授業はあんまり得意ではなかったけど、サタデーのアルファベット綴りはハイスタに教えてもらった事は確かだ。
友人たちとギター、ベース、ドラムでコピーもよくやったもんだ。
ハイスタからスケボーにどっぷりとハマっていったし、
自宅で唯一MTVが映るクラスメイトに頼み、AIR JAMだって録画してもらった。
その録画からウォークマンで持ってない曲を録音する超絶アナログ手法だ。

まあ、それくらい貪欲にアンテナをはってた時代で、その後高校生近づくと次第にHIPHOPへ興味が移っていった。
だから自分が高校生になって、ハイスタが世間的に爆発したMAKING THE ROADが発売された時、
どっちかっていうとキングギドラ/空からの力のほうが良く聴いていた。
自分の中ではハイスタは既に消化し、一歩遅れ気味のコンテンツだったのだと思う。

でも心のどこかにハイスタは必ずいたのは事実で、アルバムも買ってちゃんと聴いてたし
大人気ソールドアウトだった、MAKING THE ROADツアーの音漏れを聴きにチキンジョージにも行った。



その後、ハイスタは活動休止に入り僕の中では既に歩みを止めたバンドとしてiTunesでしか流れることはなかった。
もうブラックミュージックにどっぷりだったのだ。
(それからの僕の音楽的生活は以前に記した通り)

そんな僕も20代を駆け抜け、30代が見えてきたとき、東日本大震災が日本を襲った。
未曾有の大災害ではあったが、
それがきっかけでハイスタがまた歩みだした時は嬉しかった。
DVDだって買ったし15年ぶりくらいにベースを鳴らしはじめるきっかけをくれた。
でも東北や横浜、こないだの福岡などAIRJAMに参加するっていう気持ちは、僕の中では全くなかった。
中学生だった僕にも、今じゃ家族が出来て、簡単にはいけない。
むしろ行きたい!って気持ちすら沸いてなかったしTVモニター越しにみるハイスタで納得していた。

去年、INSTAGRAMでハイスタの16年ぶりシングル発売!って事で大いに騒がれた。
で、今年はNew ALBUMが出る。18年ぶり、しかもツアーも開催だ。
場所は、、大阪城ホール。

直感的に、これは行くしかないと思い速攻で先行予約にエントリーし、こないだ当選通知が来た。
新しいアルバムのツアー、まだ収録曲だって発表されてないしどんなツアーになるのか、
駄曲ばっかりのアルバムなら演奏の大半が退屈なんじゃないかと心配もある。

でも、中学生の頃の自分、そしてHIPHOPに興味が移ってても
音漏れを聴きにいける、実は一番ハイスタが好きだった時代の自分に
今年は、20年越くらいの念願の初めてハイスタライブに参戦出来るよって教えてあげたい。

ピザオブのTシャツ、実家にまだあるかなー。。

2017年6月6日

Yo、ワッツアップ、こんちわ、元気ですか。














石の上にも3年と言われるけど、
【1年】という単位が駆け抜けるスピード感は年々上がっていく。
思春期の1年、30代の1年。
両方経験したらスピード感が全く違う事にびっくりさせられる。
スピードのせいにせず、コツコツと何かを頑張れる人間に勝るもんは何もないなと、年を重ねる毎に感じてる。
もう6月。

少し昔を思い出してみる。
干支がひとまわりする12年前。

当時22歳、親元を離れ、神戸・陸路の玄関口で一人で生計を立て始めた。
それはそれは毎日が刺激で溢れていた。
夜な夜なクラブで踊りあかし、乾杯し、泥酔し、二日酔いで通勤列車に飛び乗るも昼間は仕事に身は入らず、
仕事が終わると溜めてたDVDや書籍、雑誌を読みまくり、ご飯を食べたらまたクラブへ。
この生活は学生時代から変わらずで、学校では、社会では教えてくれない事を沢山見ること、知ることが出来たとても刺激的な毎日だ。

クラブでは、レコ屋でよく会う名前もよく知らない後輩、いつも女をはべらかしてるだけの先輩、
絶叫と虚無感を体言するオールドスクーラー。
中身なんてない唯の体育会系の付き合いや、他ジャンルのDJに教えてもらうレコード。
イケテル男子を漁っている自称日本語ラップ通の女、ぶっ飛んで失禁しているギリギリアウトな人。
色んな人と乾杯して、酒の話・女の話・街の話・音楽の話。いろーんな情報をゲットできた。

こんな刺激的な場所は、昼間の世界では見たことがない。
それは34歳になった今でも見つからない。

あんなに鼓膜とソウルを振るわせた情報ツールが、いつの間にか端末越しに見る活字がメインとなった。

人は年をとる。環境が変わる。生活が変わる。
昔のように「Yo、ワッツアップ」って簡単には会えない。
あの時よりも金はあっても時間が持てない。
でもそれは言い訳でしかないんだって、本当はわかっている。

じゃあ、どうするか。
やりたい事をやるのが一番だよ。もちろん出来る範囲でね。
アンチロックシステム?社畜?ファッキンサラリーマン?なんだそりゃ。
決められた線路を進む人生?ブラック企業?なんじゃそりゃ。

ちがうちがう、その線路に、その列車に飛び乗ったのは自分なんすよ。

ソーシャルな世界で垣間見える華やかな世界も、裏を返せば寂しい人の幻想であったりもする。
目の前の今日、そう今の生活が、ここまで自分で選んできた道筋の通過点であり
線路なんてこの先自分で幾らでも作れるんすよ。

各駅停車でも特急でも、目指す方向があれば、何かにチャレンジしてれば
人生は楽しいぞ!

och.

2016年11月28日



【いつからか季節は秋からはじまり】

久しぶりにTBHが東京で初めてライブを行った映像を見たら
今ですら学ぶことが大いにありました。
ホント、予期せぬBIGBANGの衝撃です。

さてさて、夏から晩秋、そして冬へと移りだす季節。
夏ぶりの更新。
夏にまだアップするって言ってたのに、ぜーんぜん更新できなかった。
残暑厳しい8月末から11月前半までの駆け足のペースが半端なく
むしろ短距離走者のようなスピードで駆け巡ってました。




そのスピードが収まってからは、ついにはバカンスと爆買衝動にかられ
今月上旬はグアムへゆーっくりしにいきました。
海外なんてバリへ行って以来で、10年近く前になる。
スケジュールを沢山詰め込んで、ゆっくりするつもりが実は結構ビジーモードで
海・プールで遊んだのはほんの少し。他は爆買いです。
いい経験になりました。



その他はやっぱりキャンプ。



もはや趣味の域を超えつつあるのではないかと思うぐらいの意気込みです。
ギアも沢山持っていく方なので、どうしても積載がしんどい。
それと一息つくことなく、常に何かしら準備に奮闘しているので写真を撮る暇がない。
これは来年以降の課題です。

今回は我が家はじめての2泊。
初日は友人ファミリー2組も参加してくれて大いに賑わったのですが、
2日目はキャンパーは0。我が家のみ。
管理人も21時以降は帰宅してしまい、非常に静かで、山では獣の足音が凄い響いてました。
気温も下がり、とても静かな晩秋キャンプを堪能できたとは思う。
でも、つい先日に付近で熊出没があったと管理人に聞いていたので、
すぐ近くの暗闇から聞こえる足音、たぶん鹿か狸なんだろうけど、
熊という先入観を植えつけられた僕の心境は常に気を張りまくっていて
かなり五感がビンビンしてて、正直ゆっくりできなかったなー。
野生を感じれたキャンプでした。
でも、、やっぱり焚き火は最高でした。

さてさて、
ここ最近はこんな感じでスロウリーって程でもなかったけど
これから年末までは、スロウリーでいたいです。

Keep it slowly!

2016年7月20日

2016 SUMMER

Hey hey hey hey , You you you you.....

夏になりました。
毎年梅雨明け宣言されるとサマージャム95の季節を感じるけど
ここ数年はこれが夏の幕開けを彩ってくれる。






それはさておき、一年振りの更新。
ここ数年、子供たちが少し大きくなったのでCampを楽しんでいる。
近年はオシャレでグラマラスなグランピングが大流行みたいだけど、
実は僕は全然興味がなくて、求めるものは普遍的なキャンプスタイルだ。

僕自身も小さい頃から親に連れて来てもらってて、
とても楽しい思い出として記憶に残ってる。
情操教育が~とか、そんな難しい事はわからないけど
子供も楽しんでいるし、それ以上に親の僕がハッスルしてるので
ついてきてくれる内は色々と体験させてあげたい。

もう少し大きくなったら、
男同士でブッシュクラフトにも勤しみたいとも考えている。
ハードル高いかな?一緒に学びたい。

でも、真夏は、、、、行かない。秋から本格シーズンスタート。



で、いつも積載に苦労してるので この度ルーフラックを導入した。
中古で古いラックを手に入れたので、DIY塗装を施し
知り合いの看板屋さんでデカールも作ってもらった。

テキストは国内外のアウトドアフリークを魅了してやまない
アラスカの大自然を撮影するヤーマンこと山田博行氏のフォトエキシビジョンから一部頂きました。
これで積載問題は多少解決するかな?




この夏にまた更新します。
ちょっと楽しみです。

2015年7月7日

WAFFLERACER

ついに、ついに買ってしまいました。
NIKE WAFFLE RACER VNTG.

中学生の頃、ワッフルレーサーの前モデル、オレゴンワッフルと共にめちゃくちゃ欲しかったスニーカー。
当然オリジナルしか無い時代、買える金額ではなく、ただただ眉唾もんだった。

当時はジョーダン1とコルテッツ、LDV(図工の先生から貰ったオリジナル!!)を履いて、それはそれで満足だったけどやっぱりワッフルが欲しかった。
でね、2年前位に復刻されてたけど、その時はスニーカーよりもブーツに入れ込んでた時期だったので何だかんだと買わずに結局ソールドアウト。

以降、後悔につぐ後悔でずーっと探してた。
復刻だし中古はやだなーって思ってたので新品でジャストサイズは見つける事ができなかったけど、
ふとネットを見てたらなんと希望のカラーが1足たまたまデッドで入荷してる店を見つけてしまったのです。
これは考える訳もなく、すぐにポチッとしてしまいました。
(定価より値上がりしてたけど。。)

先のDIADRAブームもあるけど、NIKEヴィンテージラインは別格という訳です。
ジーンズ・ショーツ・ワークパンツなどありとあらゆるシーンで活用出来るデザインで、これは大満足。

昔の物欲って怖いね。今更ながら衝動を駆り立てる訳ですよ。
近日公開されるジュラシックパークであったり、セーラームーンであったり、当時の世代が大人になって衝動的に、いわゆるパニックバイを引き起こすのです。

でも、満足だけどね!!

2015年6月2日

Diadra


今更ながらdiadraのスニーカーが美しい。

僕の世代だと絶対に憧れたサッカー選手、ロベルト・バッジョ。
更に古くはミランのオランダトリオの一角、マルコ・ファン・バステン、
そして何より疑惑のゴールドメダリスト、ベン・ジョンソンだって履いてたディアドラのシューズ。





子供の頃、ディアドラのスパイクはホントに高くてディアドラ履いてる人は上手く見えたり、
威圧感と羨望感があった。
蛍光色の赤やライムグリーン、イタリアントリコロールは北澤豪のチャラさとも充分にマッチしてた。

僕は僕で、この年になってディアドラのスパイクを履いてプレーしてみて、
やっぱりいまだにディアドラのシューズは美しいって実感。

そりゃピッポもディアドラ履いてた訳ですね。
ディアドラのスニーカー。欲しいなあ。

2015年5月11日

4+1 NewLife.




今年はじめての更新。お久しぶりで。

実は大きなトピックスとして、春に次男坊がひょっと出てきて我が家は4人+1モンスターの生活がスタートしたのですが
まだまだ次男坊はお外に出れないので、母ちゃんと自宅でゆっくりしてもらってます。

ということはワンパク盛りの長男坊のお供は僕な訳で、4月からGWにかけて色々な所で遊んでます。

ここは僕が大好きな近隣の大きな自然公園。
僕も小学生の頃からこの公園で沢山遊んできた馴染み深い場所で、
カブトムシもいるし、ブラックバスも釣れるし(腕次第。)、BBQやお祭り、はたまたワークショップも開催されてたりと四季折々色んな遊びが出来る場所。

この春はここで遊具で遊んだり、虫を探したりしました。
時期が来れば川には蛍も生息しているので、ホントにこれからもずっと大好きな公園です。





他には馬事公苑でサラブレッドにも乗りました。
長男坊、馬とキリンが大好きでキリンに乗りたいとずっと言ってるけど、さすがにそれは厳しいので。。笑

ご希望通り馬に乗ってご満悦でした。(既に過去にも乗りにきたけどね)
そして近くの牧場で牛やヤギとにらめっこしたりと、彼には沢山刺激を与えてます。

その他にサファリパークや郊外の川にいる亀と触れ合ったり、あとは山上遊園でリフトやロープウェー、
そして世界にここだけしかないカーレーターにも乗ったしね。(これも過去に経験済み)

ホント、色々な体験をさせてあげて、しっかりと自分の感性を磨いて欲しい。
もうちょっと大きくなったら次男坊も連れて、キャンプや釣り、森の探検など
男だけの楽しい遊びをさせてあげたいなー。

そして長男坊は今日も庭で水撒きの手伝いをしてくれてます。笑



2014年11月4日

Football.

もう前回の更新から7ヶ月以上たってますが、近況を。 

サッカーに現役復帰するって言ってた3月、

その後実際に公式戦に出場出来るようになり 今シーズンここまで僕としては7試合を消化しました。 
(1試合はスケジュールの問題で行けず。。) 

5月の開幕戦で初ゴールを決める事が出来、実に12~3年振りの公式戦でのゴール。 
そしてここまで4得点。 
ただ個人的にはちょっと寂しい数字。 
得点機に外してしまうのはあと5~6回はあったと思うから二桁は狙えてたんだなと。 
まだ今期は2試合残ってるし、もっと挽回したい。 

試合翌日は足の筋肉痛がひどいし、調子悪かった翌週はずっとへこんだり。 
正直、学生時代のように毎日練習だってしたいと思ってる。 

ほんとにサッカーってスゲーなって改めて感じています。 

やっぱりキレが欲しいし、テクニックも欲しい。 
この1年を通して、 
これから少しでも長く続けるために、 
怪我しない体、動ける体はしっかりと作らないといけないと痛感した。 

またシーズン終了後には何かしらの報告をします。

2014年3月27日

シーズン終了



早いもんで、3月も末。
もうすぐ今期も終了です。 

この写真は先日の雨の日の明石海峡大橋だそうですが、雰囲気がある良い写真。 
僕も自宅から毎夜眺めているけど、パールブリッジは本当に綺麗で世界一だと思います。 




それと神戸には世界一有名な豪華客船、クイーンエリザベスが寄港してたね! 
昨日の横浜ベイブリッジ通過の際のカッコよさといったらハンパなかった。 
ちょっと調べてみたら、 
海面から橋下までの高さが55メートルのベイブリッジに対して、QEの高さは56.6メートル! 
既にぶっちぎってるけど、水位が下がる干潮時に合わせて通過したんだって。 

この写真もカッコよかった。 


3月はJリーグも開幕し、我が街のヴィッセル神戸も開幕からとても良いサッカーしてます。 
今まで以上に期待出来る内容で、しっかりとパスサッカーが出来ている。 
神戸と言えばカウンターサッカーがベースになっているけど、若手の成長が大きいのと補強した外国人が概ね順調なのがいいね。 
今年は何かひとつタイトルを持ち帰って欲しい。 





それと昨日発表されてたけど、好きなサッカー選手で5本の指にはいるであろう名手、Wizerd of Ozことハリー・キューウェルが引退した。 
リーズ、リバプール時代も当然ですが、日本代表との試合はいつも彼は危険な存在でした。 
ブラッド・ピットとシャビ・アロンソと羽賀研二と清水盛三を足したようなイケメンだったキューウェル。 
これからもオージー、及びアジアに力を貸して欲しい存在。 



僕は僕で、フットサルとは別でサッカーチームに加入する事になったんだけど 
それなりにやるからには体をしっかりと作って頑張りたいなーって思う。 
ちゃんとサッカー協会に登録し、地域リーグにて現役復帰な訳です。 

先日、高校時代のサッカー部員の結婚式に参加した時に後輩が誘ってくれました。 
じゃあ僕らの世代を出来るだけ多く入部させてがんばろーぜってなって。。 
もう今年31歳になるし、フルコートで40分ハーフなんてホントきついけど、こんなサッカー出来るのもあと数年だろうしね。 


では! 


2014年1月6日

ciao! 2014



ciao!


あけました。
今年のニュースはやはりHONDAのミランへの移籍から始まります。
僕がいっちばん好きなチーム、ACミランの10番ですよ。グラーツィエー!
ミランに移籍に関してはまた書き綴ります。

30歳になり、子も成長していき、色々と楽しいことがいっぱいであります。
年末年始、色々あったけどマイメンのニューヨーク異動が嬉しく思います。
夢だった海外赴任を実現するだけの行動力、実行力。
仕事と趣味の両立のみならず、趣味を会社に認めさせる力。

僕が最近忘れがちであった野心に火を着けてくれました。
やっぱり負けたくない!って気持ちが重要なんだなと再確認できた正月だったと思います。

今日から仕事始め、まずは目の前の仕事を懸命にこなして行く事と
直近の目標をたて四半期で過程の確認・方向性・進むべき道を確立していきたいと思う。


まずはここから!
今年も色々と綴っていけたらなー。

2013年4月12日

goodbye,20S and Hello,30S


はやいもんで来週で僕は30歳だ。

今思い返せば、20代はいろーんな濃い体験を沢山したなと思う。

20歳の時、学生だった僕は音楽にどっぷりだった。
専門学校でデザイン要素や理論を学び、放課後はスケボーとhiphop。
髪型は自家製のアフロ、SUPREMEのキャップに430のパーカー。
カーゴパンツにCREAMY SOUNDのベルトを垂らし、キックスはSUPPA。

(ここからは音楽に限って話します。)
懐かしいな、初めて主催したEventもこの時だった。
スゲーお客さんが来てくれて、NEPALクルーとも出会った時期。今でも鮮明に覚えてる。

就職もし、一人暮らしを開始。
新神戸って土地を選んだ理由は都会的で、且つナチュラリーな雰囲気を残していたから。
やっぱり新神戸って神戸の玄関口であるってのと、子どものころ新神戸からよく布引の滝を見に行ってたいい思い出もいっぱいあったからだと思う。

茨城のSPADEちゃんと布引の滝でチルしたのも、いい思い出。

この20代前半は本当に毎夜毎夜遊びまくったなあ。
当時はユースケくん(EMCEE STATE)と週末になったらPI:Zを筆頭に大阪・神戸・京都・徳島でずーっとハッチャけてた。
一緒にパーティを開いたり、遠征したり。
色々な人と繋がりを持たしてくれた事は本当に感謝しているしリスペクトしてる。

いつかの焼肉屋で『俺は一番お前と曲が書きたいねん!』て熱く語ってくれたのは本当に嬉しかった。

誠クルーで活動したのもこの時。
ニグロ、テツハル、テイク、タイセイ、ジャジー、ヒロちゃん。みんなずっと仲間だ。
もちろん音屋クルーのみんなもね。(熊木さん、安曽さん、徳久さん、知影ちゃん、清瀬)
本当に何から何まで世話になったな。

あとはBAPPLEクルー(ANDくん、脩くん)。よく通ったなあ。
仕事帰りにBAPPLEで立ち話しをして夜遅くに帰るのも日常茶飯事だったと思う。
特にANDくんの家なんて毎晩のように通わされた。笑 POPOくんも。

色々と回想しだしたらハンパない文字数になっちゃうから、もうこれぐらいにしようと思うけど、
人間として様々な人・事象から影響を受けたね、20代。


30代に突入する準備は出来てるっすよ。
30代のコンセプトは決めている。
光が射すようにあとは実行だね。

2013年4月4日

Keep it Naturally.



ご無沙汰。

新年度を迎え気持ち新たに!
Keep it Naturally.

2月3月は年度末って事もあり、なかなかビジーだったけど日々充実してたなーって思う。

まあ、心配事も沢山あったどね。


でね、ついに買ったんすよJ-45。
たぶん憧れは中学生の頃、山崎まさよし熱が相当きてて,そん時にジャカジャカと掻き鳴らす姿を観てからじゃないかなと。

父親から譲り受けたFG350Eで真似しても全然音の系統が違うくて初めてギターの音色の違いってのを考えた。

懐かしい。

大人になるにつれて、目標の一つってもんじゃないけど30歳になる頃には手に入れたい!て思ってた。
それを30を前に購入でき、気分良く三十代に迎えそうです。

まだ生後20年ほどしか経ってないJ-45だけど、ストロークの音色はしっかりしてるしとてもGibsonらしい良い個体に巡り合えたなって思う。

ホント楽器との出会いは突然来るし、タイミングも運も関係しててとても難しいもんです。


購入してからと言うものの息子の前で弾いてみたりするのですが、これがまた喜んでるんです。
まだまだ全然何の事か分かってないと思うけど、僕が鼻歌を歌いギターを鳴らすと両手を挙げて喜んでる。
離乳食の食べが悪いとき、ふと奏でると食べが良くなるんだって!

こういう何気ない幸せはホントに何物にも代えがたいもんだなーなんて思ったり。。
探していたものはずっとシンプルなもんだったんだなぁ。


よし、また音楽をやろう!
そう、Keep it Naturally!

2013年1月31日

感じる事がすべて、感じた事がすべて

先日述べた、フラワーカンパニーズの深夜高速。

この曲にはホントに助けられたなぁと思う。

初めて聞いたのは一人暮らししてた部屋での深夜のラジオ。
当時は昼間はサラリーマンをこなし、週末の夜はBarで働いていたんだけど
油と酒臭いまま帰宅し、自宅で一日の終わりを感じ倒れ込んでたのを思い出す。
なんせ凄くしんどい時期だった。

玄関のドアを閉じた時に訪れる、
突然の街の騒音から無音に変わるのが大好きだったので、
よく自宅につくやTVもつけず無音でタバコをふかしてたなあ。

でもその日はふとラジオを聴きたくなったのでFMをただなんとなく流してたら、
ラジオDJの人が語るエピソードに耳がとまった。

そこでの話を要約すると、
人に馬鹿にされても真面目に頑張ってきてよかったっていう話だった。
一生懸命に生きるってホントに素晴らしくカッコイイ事だってDJの人が話してて
その後に流れた曲が、深夜高速だった。

ただ純粋に衝撃を受けた。疲れた体は疲れを忘れてた、ホントに。
「生きててよかった」この言葉の持つパワーは相当凄かったようで、
親父が調子くずした時、じいちゃんが死んだとき、
色々な悲しい出来事を思い出しても本当に生きててよかったって思えた。

そして「感じることだけが全て、感じた事がすべて」。

人間関係のしがらみ、生きていきにくさ。
音楽やってた時のつらさとか、楽しさ、社会に出てからのつらさ、楽しさ。
出会い、別れ。

すべて、感じる事だけ 感じたことだけが全てだったな、と。
それ以来、この曲大好きになったなー。

それとね、こんなんもあります。
この曲は色々とカバーされてるんだけど、当然原曲の素晴らしはさておき、
大好きなWorld'send Girlfriendと湯川潮音がコラボレーションしているのがYoutubeで聴ける。
WEGが作りだす雰囲気は原曲よりも叙情的で、湯川潮音との相性がとても良いと思う。

一言、素敵な曲です。

2013年1月30日

深夜高速



先日のアルジェリアの事件以降、ずっと頭から「深夜高速」が離れない。
(※フラカンの曲。詳細については後日また書きます)

生きてる事と生かされてる事、死ぬ事と殺される事。
ほんと、深く考える事が多くなった。
子どもが生まれてから、やっぱり生命についてかなり衝撃受けたしね。

僕も色々と辛い事もあったし、大事な人も亡くした。
でもその分だけ楽しい事も嬉しいこともありました。

やっぱり今はホントに思うよ、『生きててよかった』