What's up old self.













高校も卒業し、より自由を得た専門学生時代。
中・高・専門と、この期間に得たカルチャーや衝撃は一生モノだなぁと今になって思うけど
当時は音楽にかなり貪欲で、
色々なパーティに顔を出し、カッコいい音楽を吸収し、その情報をもとにレコ屋へ。
人生で一番音楽にお金をつぎ込んだ。

その頃、高校時代のReggaeを一緒にやったダブリの先輩とリリックを書いてはインストに乗せ、
気晴らしにスケボーをする事が日課みたいなもんだった。
自然とダブリの先輩とユニットを組み、2MC1DJという構成になった。

そんな時、初めてのステージに立つ機会が与えられた。
ダブリの先輩が仲良しだった、当時バリバリ活動をしていた先輩がオーガナイズするパーティに出してくれるって話だった。
その先輩はすでに3MC1DJのユニットを組み、ライブの演出でVJを導入したりと、当時の僕には初めてのことを経験させてくれた、
いわば一番身近で学ぶことが多かったアーティストである。

で、話を戻すと初めてのライブが決まり、ダブリ先輩とのクオリティも上がっていき
高校時代の陽気なReggaeという音楽性が、よりスピリチュアルに、よりシンプルで、より深い黒い音楽へどんどんのめり込みユニットの色が固まっていった。
初めてのライブの事は正直あまり覚えていない。特に手ごたえがあった訳でもない。
でもとても楽しかったのはよく覚えている。

それからというものの、より活動的になるものだと思っていたけど、
自身の学業やバイト、ダブリ先輩の仕事の都合などもあり少しづつ疎遠になっていく。
でも僕は僕で、クラブには頻繁に通ってたし、ダブリ先輩に繋いでもらった人間関係がより深くなっていき
自分でパーティを開きたいと思うようになっていった。

ちょうどそんな時、学生時代の友人や、その繋がりから僕の周りには音楽をやりたいって志す人が多く
すぐに仲間内を集めてパーティを企画した。
いわばクルーみたいなもんで、10人近くが集まってた。

友人同士でラップユニットを組んでたり、DJチームを組んでたりと、
しょっちゅうDJの家でダベりながら、リリックを載せたり、スクラッチをしたり、夜は皆でイベントへ行く。
朝起きたら学校へ。より活発に動くようになった。
そこでの出会いは若さやフレッシュさで、今思うとすごいTHE 青春!みたいな空気だったと思う。

友人の繋がりから、既に活動していたBlank To Rhythmoという名のグループにも参加してもらい
初めてのパーティを開催した。
夜遊びデビューの大学生や、ずっと一緒に動いてた友人達も集まり、かなり盛況なパーティになった。
その後も2回ほど開いたが、ここでも少しづつ違和感が生まれていく。

当然10数人もいれば、取り組み方や音楽性、責任感などにズレが生じていく。
パーティの出演者も多種多様で、はっきり言ってイベントの色が無い、大学生の身内イベント感が丸出しだったのだ。

そんな時、初めて自分をステージにあげてくれた先輩が何年もオーガナイズするイベントと、共催しないか?と話をもちかけてきた。
先輩のやっているイベントは抜けがなく、音楽性も統一された、音好きの集まるすごく出来上がってたイベントだ。
イベントのクオリティには雲泥の差がある。
でも僕はクルーとの違和感はあるけど、みんなでチャンスをゲットしたい。僕らも少なからずレベルアップしたかったんだ。
恥を覚悟で受ける事を決めた。


つづく

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