Changes.

 


歳を重ねると幼くなっていくという。

それはまるでベンジャミンバトンのような感覚かもしれない。


昨シーズンのミランは10年降り?ピッポが現役だった頃以来の

ながーいながーーい暗黒期を経てついにCL出場権を獲得した。


これまでアッレグリを最後に、セードルフやピッポ、ガットゥーゾなどのレジェンドの無駄遣いや、ミハイロビッチやモンテッラなどの外様への無礼もあり、グランデミランって言葉が霞むばかりだった。

もちろんベルルスコーニ / ガッリアーニ体制から変わった事や、マルディーニがBack to Milanした事など色々な要因はあるが

選手目線では明らかにイブラヒモビッチの影響だ。彼がCLを手繰り寄せたと言っても過言ではないと思う。




イブラは年々凄みを増していく。

自分自身をベンジャミンバトンだと表現していた事もあるが、昔からブレずに自身を神だと言う。

本当に年齢を重ねても、彼の影響力がとてつもないのだ。


まさに、ベンジャミンバトン。

まさに、神だと思う。


で、冒頭の話だけど

昨年末に20年来の友人を亡くした事がきっかけで、古い友人と連絡をとる機会が増えた。

それは10代~20代前半の頃の友人など、SNS以外では繋がりが無くなってた友人達だ。


メールでも電話でも、

「あの時はこうだった」とか「あいつはどこいった」とか、ただ昔を懐かしみ、また再会を誓うだけなんだけどこれはこれで心地よい時間だ。


気分的に若い頃に戻ると行動にも少し影響が出始めて、たまたま友人の誕生日をSNSで知ったのでLINEでバースデーメッセージを送った。

「こんなメールもらうの、10年ぶりだ」なんてお返しをもらい、

どんどんと昔のような行動が目立ってきた。

コロナ過において色々と制限を受けている日常で、少しでも日常のクオリティや満足度を上げたいという欲求がそうさせるのだと思うけど。


最後のステージからかれこれ13年程経っているかもしれない。

そして僕はもうクラブのステージでラップをする事はない。

だからあの時のような、その場を共有する誰かに向けて音源を掘る事もない。

もう100人以上を動員するような規模のイベントを企画する事もないだろう。


今は素直に自分のために、そしていつかは子供達へ届ける事が出来ればと思いながら

昔の音源をトレースし直したり、新しい音を探す。


そういや子供が生まれて以降、音楽をアナログで聴く事がなくなったが、その理由は明確。

単純にBluetoothで音楽を流すのが手っ取り早いから。

子供が小さいうちはゆっくり音楽を聴く事はなくて、出来ないって事もあるけど、本音は気持ちを隠していた事が大きいと思う。

通勤時が唯一、音と向き合う時間だった。


アーティストが一字一句、キックやスネアの一音、拘りをもって作ったであろう音源をまるでカップ麺を食べるかのように よく言えばお手軽に、でも本音としてはインスタント的に消費してきた。

テクノロジーが発達し、サブスクなど時代がそうさせる部分もあるだろうし、

レコードからCDへ移行した時代に同じ感覚を訴えた人も多かっただろうなと創造する。



でも、今は違ってる。昔のような行動に出るようになってきてる。

もちろんサブスク的に音楽を取り入れる事は否定しないし、自分も上手く活用したりもする。

でも、このシステムは似通った音楽ばかりがフィーチャーされ、新しいものと出会う機会を減らしているという見方が出来る。

ジャケ買いなんて言葉を若い子は知らないだろう。

Spotifiに「関連するアーティスト」としてレコメンドされるより、DJの選曲の中で発見したい。


まあシステムは別にして、

新旧問わずアーティストは作品作りに苦労するし、その苦労に対して聴く側としては、

お金を落として恩返しするのが良いのだと思う。

今でも僕はレコ屋に行くし、今更、中古で中島みゆきのレコードを買ってもアーティストには一銭も入らないけど

制作したアーティストへの敬意を込めて、自室の60年代のアンプやスピーカーを稼働させ、聴く側も労力をかけて向かい合いたいなと思うようになった。

もちろんレコ屋へ行く労力、レコードをかけるための手間も含めて。


だから僕は今でもレコードを掘りたい。

そんな話。


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