岡村靖幸と僕


 出会いは専門学生の頃だったか。

当時は色んな音楽を聴き漁ってて単純に好奇心ってのもあるけど

自分が活動していたhiphopのトラックの元ネタになるものは無いかという目線だったと思う。

そんな時に元町の高架下で一枚のCDに出会った。

タイトル「家庭教師」そう、岡村靖幸の超名盤である。


サイケデリック風味なジャケとタイトルが妙に気になって手に取ってみたらアーティスト名に岡村靖幸とあった。

岡村靖幸という名前はそれこそ中学生の頃から知っていたけど

僕の中の立ち位置では80~90年代のアーティストという以外情報はなくて

杉山清貴とか中西圭三とか、よく名前をきく80年代系のアーティストの一人だっただけで

特に興味もわかず、名前だけが頭にインプットされているだけだった。


そんなアーティストと音楽にどん欲な10代後半に出会った。


当時は「ポップス」だけでは興味が湧かず、それこそ小沢健二とブラックミュージックのように、その「ポップス」にどれだけのバックボーンがあるかがディグの対象になるか否かの線引きだった。


で話は戻るけど、ディグってる時ジャケ買いは当たり前だったし「家庭教師」のジャケットを見た時、Shing02の緑黄色人種のような、ただならぬ何かを感じた。

この中央の少年と青年が家庭教師と生徒なのか、毒々しい果実や鳥は何なのかよく分からないけど、緑黄色人種の少年ナイフのような世界観に興味津々だったためか妙に聴いてみたくなったもんだった。


帰りの地下鉄の中でそっと開封し、CDウォークマンで火を入れると、、、



岡村靖幸(以後:岡村ちゃん)と僕。そこからの関係だ。

どんどんと掘っていくと、あの時超イケててかっこいい!って思った川本真琴のプロデュースもしてた。

川本真琴の「愛の才能」は自分もCDを買ってよく聴いてたけど、エンディングでワーワーうるせえ男がいるなって思ってたら、なんと当人だった。

そう、その時期の僕に言わせたら完全に岡村ちゃんの曲なのだ。

そこからは岡村ちゃんの世界にこっそりと沼っていった。


何が良いのか。

はっきり言って、歌い方はキモいし、レコ屋でディグる度に出てくる岡村ちゃんのジャケはどれも気持ち悪かったし

何なら影響の基であるプリンスのビジュアルからして受け入れなかった。

そう、はっきり言って気持ち悪いのだ。


でもこの気持ち悪さが妙に癖になり、その癖が曲のスパイスになって昇華していく。

その先に開かれる感情は「ヤバい、カッケー」になる。


歌詞なんか、妄想癖のある童貞感がハンパなくて

カッコつけてるくせに、カッコわるい。途中でブチこまれてくる泣き声は本当に気持ち悪いし、ファルセットも本当に汚い。

そんでもって自分の事、靖幸ちゃんとか言っちゃってる。


高校生の頃、ドはまりした漫画が江川達也の東京大学物語だったんだけどその主人公の村上直樹がオーバーラップしてくる。

カッコつけてるくせに、カッコわるい。


でもそれが人間味として感じられ、

これまでの学生生活では勉強は出来なかったけど、スポーツが出来て、学年のイケてる一軍に属してて(自称ではあるが)、それなりにモテて、

でもクラスの陰キャと言われる子とマニアックな話をするのが大好きで、そしてそんな子を大事にしていた自分。

根っからの陽キャな自分とマニアックな陰の自分の二面性とジャストフィットしたもんだった。

あの時手に取って本当によかったなと、今となっては思う。


そんな「家庭教師」だけど

先日、父親を車に乗せている時にSpotifyから流れてきた。

あの妖艶なアコギの音。

そう、アルバム「家庭教師」に収録されている一番流れて欲しくなかった「家庭教師」が。


もはや地獄。



40代になった今も、通勤の時にBluetoothイヤホンで岡村ちゃんを聴いている。

通勤列車の中には疲れたリーマンや、朝から笑いの止まらない女子高生、車内でアイメイクに勤しむOLに朝帰りのヤングマンなど色々な人がいる。

そんな人達を黙ってジロジロと観察しながら岡村ちゃんを聴いている時、この秘密な感じ、一見普通を気取ってるけど、聴いてる音楽は気持ち悪いって事が超カッコいいとすら思えてくる。


ミスチル桜井氏は言う。「聴いていない人に同情する」。


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